水の惑星にようこそ。
隼人さんの歌からはそんなイメージが浮かんでくる。
隼人加織さんインタビュー / 歌手・霧島ふるさと大使
「水の惑星にようこそ」。隼人さんの歌から浮かんでくるイメージだ。心地よいボサノヴァのリズムに日本語とポルトガル語の響きが溶けてゆく。
日本人の父、ブラジル人の母を持つハーフである隼人さんは、富山で1 8 年育ったが、約2年間だけブラジルで暮らしたことがある。サンパウロの隣、ミナスジェライス州というところで、アマゾン川にも近い内陸の地だった。馬が普通にあたりを歩いている、そんな自然豊かな場所が彼女の原風景だ。
「身のまわりのぜんぶがリズムを奏でているんです。子供の頃、雨ざらしのぴしゃぴしゃという音と合わせて歌っていました。笹が風にあたる音とか、ぜんぶが音源なんです」そう話す隼人さんが理想とするのは、きれいに加工される以前の「裸の音」。霧島の山の中で、そこにある音にあわせて歌うようなセッションを行ってみるのが夢だという。
「土地から感じる波の音がリズムになった音楽」。隼人さんはサンバのことをそう表現し「ブラジルの遺伝子」を感じるという。サンバからはボサノバが生まれた。「一曲の歌からボサノヴァは始まりました。『想いあふれて』という1968年の曲で、とアントニオ・カルロス・ジョビンが作曲、ジョアン・ジルベルトが、ギター1本でサンバを表現したいと模索し独特のボサノヴァの弾き方が出来たそうです」
ギターを奏で歌う彼女の音楽には、ボサノヴァ、ブラジルの音楽がベースにある。それは、歌手としての隼人さんのルーツだ。
ずっと音楽は好きで子供の頃から歌っていた。だが、人前で歌い始めた頃はとても苦痛だった。まるで裸を晒しているような感覚があった。18歳でブラジルに行き、現地で初めて音楽に触れた瞬間、すっと馴染んで深い心地よさを感じた。ブラジル音楽との出会いは、「音楽って楽しい。歌うことに幸せを感じてもいいんだ。そうだ、私から心の殻を脱ぐから、みんなで一緒に裸で踊ろう」というオープンな気持ちを隼人さんに抱かせた。それ以来歌うときは、そこにいるみんなのことが好きでたまらない気持ちになると彼女は言う。母方のルーツの音楽は、歌手としての隼人さんを、自然体のスタンスに開花させた。
隼人さんが富山の実家に帰省した
ある日、病で寝たきりになった祖父から告げられた。「おらっちゃのご先祖様は隼人族や。いつか隼人って場所に行ってみられや」わたしの名前にもなっている隼人ってどんな場所なんだろう。それ以来、祖父の言葉がとても気になった。震災の後、隼人さんは思いたって、霧島市に旅立った。来てみると、とても肌なじみがあった。人の感じもブラジルっぽいところもあった。「気に入ってしまったんです。楽しくて忘れられなくて、ずっと東京でなくてもいいし、住んでみようって思って引っ越してきました」
霧島に来てみて感じるのは、「足りないものはなくなった、必要なものはぜんぶ揃っているという感覚です。東京にいると欲しいものが沢山あって時間に追われているような感覚もありました。日が暮れると、夜空の星が綺麗でいちいち涙が流れます。ここは汚れたものがないんです。わたしの心身も変わって、歌も変わりました」
隼人さんは、歌手の活動と同時に、霧島ふるさと大使も務める。「私が好きな、幸せの場所をみんなに知らせたい」と話す隼人さん。いま凝っているのはお茶。霧島に来てからお茶を好きになったのだが、なんと「はやとかおり」という自分と同姓同名の銘柄のお茶を見つけた。
歌手を通して母方のルーツを消化したという隼人さんが、霧島に来たのは父方のルーツを探すことだという。ブラジルと隼人、ふたつのルーツを融合させる隼人さんの旅の行方は、霧島の大地から溢れるばかりの祝福を受けているようだ。
hayatokaori 3rd Album
“Joia”ブラジル・リオにて音楽の巨匠、トップメンバーによる奇跡の録音。アナログマスタリングにより実現した、つややかな音と洗練された楽曲は、まさに「秘宝」と呼ぶに相応しい一枚。 |
text by 滝澤恭平